京都新聞 口丹随想(11)
小林和子(掲載日 1998.6.28.) 
見出し: 親子の塩梅

梅雨時は梅の実の季節でもあります。梅酢と塩で調味すること、つまり物事の加減を塩梅というと、辞書にはあります。

五月と六月には、母の日と父の日があります。子供のころは、だれにでも覚えがあるでしょうが、肩たたき券とか掃除券などの手作りのお手伝い券と、ありがとうということばを書いたカードを送って感謝の気持ちを伝えていたように思います。そのころは、ある日突然両親がいなくなったらどうなるんだろうかとか、親もいずれ年をとって死んでしまうのだろうかとか思うと哀しく、人はなぜ死ななければならないのかと、その不条理さに怒りを感じたものでした。確かに思いやりや感謝の気持ちは強かったと思いますが、自分の存在のほとんどが親に依存していたわけで、一人で生きていく力がなかったともいえます。

大人になってからは、両親ともいつまでも元気に生きてほしいという気持ちはありますが、親がそばにいなくなったら自分の生存自体が脅かされるという強い危機感は、さすがになくなったと思います。それに伴ってなぜか感謝の気持ちが日々の生活のなかに埋もれてしまって、改まって気持ちを伝えることが少なくなってきたように思います。自分で生きていく力が伴ってくると、そうなるのでしょうか。

ところで、父や母に手紙を書くことなど、ほとんどというか全くありませんでした。しかし、私の勤務する大学でも個々の研究室のパソコンを繋げ、更にインターネットに接続して内外で情報のやりとりを行う学内ランというシステムが整いつつあります。いずれ印刷された紙の配りものや電話の代わりに、電子メールというパソコンを使った手紙でやりとりするようになるかもしれません。そこで、生来の筆無精ではありますが、自宅のパソコンから両親にも電子メールを送ってみようと思い立ちました。電子メールといっても、手紙と同じように文字で文章を書くわけですから、書き出しのことばが必要です。まず最初にそこで詰まってしまいます。自分の親に対して、どう呼びかけるべきかと。父上と母上、お父様とお母様、父さんと母さん、親父とお袋、パパとママ…。普段の生活では電話でも「そっちは元気?こっちは元気」というように、そっちとこっちで済ませているので、困りました。でも、感謝の気持ちは持っていても、面と向かって話すとありがとうといいにくい場合には、案外文字にすると照れずに書くことができます。

両親も自宅にパソコンを持っていますが、ご多分に漏れず放って置かれていました。ですから、私のメールを受信するために、親はパソコンと悪戦苦闘です。電話で「画面のあれをこうして、これをああして」などと言い合っているうちに、子供の頃に体験した、一緒に何かを作り上げる時の共感を久しぶりに思い出しました。パソコンはまだ電話ほど日常的でなく、知識や経験が少なく使いこなすための力や環境も充分に伴っていません。だから、かえってお互いの気持ちを伝えることができるかもしれません。

目次に戻る