京都新聞 口丹随想(15)
小林和子(掲載日 1999.3.14.) 
見出し:ゆるゆる気分

冬来たりなば春遠からじと、寒い冬にはじっと耐えて待っていたのに、いざ春が近づくと何かあわただしく落ち着きません。梅、桃、桜の三姉妹のお花見も、上二人の姉のは見後れ、梅見どころか桃の節句も過ぎて末妹の桜だけになってしまいました。お雛様を飾ってお祝いしていたのはいつごろまでだったか、お雛様も最初の子が生まれた年に一対の内裏雛だけにして、後は毎年少しずつ揃えようと言っていて、そのままになっている始末です。

暖かくなったら、大学の研究室の整理をしようと思っているうちに、本や書類が机の上にたまって、かろうじてパソコンが使える空間だけが確保されている状態です。先日大学院生が実習で部屋に来ていた時に、「蜂が」といって指差した先には、おそらくは去年からいたらしいスズメ蜂が乾燥状態で横たわっていました。「この部屋も荒れてきたわね」との私の返答に、大学院生もびっくりでした。やらなきゃいけないと思ってもなかなかできない、わかっちゃいるけどできないという精神状態の苦しさは、経験した人にしかわからないでしょう。こんな時だけは、親や教師や上司に注意されても実行できない人の苦しさが多少わかるので、同情の念が沸いてきます。ある先生によれば、何かのきっかけでフリーズ(凍るとか固まるとかの意味)して学業が先へ進まなくなる学生がいるということでしたが、まさにこのことでしょう。試験前日なのに関係ない小説を読んだり、締め切り間際の仕事があるのに昔の資料を整理したりすることは、私にも覚えのあることです。

やるべきことをてきぱきと片づけ、休む時はスパッと休むことができればよいのですが、とりとめがありません。寒くて忙しい毎日をようやく持ちこたえて春になったというのに、すぐに切り替えができず中途半端な気分です。暖かくなっていろいろやりたいことができて、気が多くなるせいかもしれません。「ふたつと良いことはなし」ということを河合隼雄先生がおっしゃっていますが、確かにそう思います。周囲の思惑を考えると、自分のやりたいことはできないし、自分のやりたいことをやっていると、利己的と批判されるということです。なかなか理屈どおりにはいきませんが、もし寿命が一年しかないとしたら何をしたいかということを考えて、過ごすようにしようと思います。でも考えようによっては、スイッチを入れたり切ったりするように、白か黒かをはっきり決めないでゆるゆると時間を過ごすことができるのは、贅沢なことかもしれませんが。

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