京都新聞 口丹随想(18)
小林和子(掲載日 1999.8.29.) 
見出し:私っておしゃべりなのね

家の外でも家の内でも仕事に追われて忙しく毎日を過ごしている人なら、「ひとりになりたい、ひとりになって自分の時間を自分のために自由に使いたい」と思うことが一度ならずあると思います。今年の夏、家族がそれぞれの行事予定に従って出かけた結果、私には大学の休みにひとりで過ごすことができるというチャンスがありました。

一日目は朝から掃除をしました。黒ずんだままほったらかしにしていたレースのカーテンも洗って真っ白にしました。晴々とした気分でお昼ごはんを食べ、午後は好きなだけ小説を読もうと久々に学生気分になりました。夕飯もひとりなら時間に追われることもありません。本を読み終わってからゆっくりといただきました。それから何をしようかと考えて、いつもはチャンネル権を無視されているテレビを見ようと思いましたが、見たいと思うものがありません。ラジオの音楽番組を聞こうと思いましたが、単に音楽だけ聞くのは落ち着きません(何かやりながら聞くのはよいのですが)。仕事や勉強をすればよいと思われるかもしれませんが、せっかくの休みにそういうことはしたくないという妙なこだわりを持っているのです。いつもなら、気がついたら十二時近くになっていて「もう寝なければ」ということになるのですが、時間の経つのが遅く感じられました。

二日目は、映画を見に行きました。映画は好きで、一人で見るものと決めているのですが(他の人といっしょだと集中できないので昔からそうしているのです)、一日中フリーだと思うと映画を見た後何をしようかとか、子供たちは無事に過ごしているかしらとか考えていつもとは違った気分でした。時間は相対的なものです。やることが多くて忙しく過ごしているとその最中には時間がアッという間に経ちますが、過ぎた後ふり返ると長い時間が過ぎたように感じます。逆にやることがないとその最中には時間が経つのが遅いと思いますが、過ぎた後ふり返ると経った時間は少ないと感じます。さて、私はこの一日半の間、人と話をしていないということに気づいたのです。東京にいる母とはいつも長電話ですが、いつもに増して長電話になっていました。口が寂しいということでしょうか。人は話す相手がいるのだと思いました。「私っておしゃべりなのね」と実感しました。
しかし、三日も経つと慣れてきて一人暮らしも悪くないと思ってきました。昼時に入ったお店で、年配のおっとりした女性がひとりで入って来て、ビールを持ち込みで飲んでよいかと尋ねていました。よいと言われて「以前持ち込みで飲んでいる人を見た時から、こんどやったれ!と思っていたのよ」と話され、周囲のお客は思わず大笑いをしたのです。私の母くらいの年齢で一人暮らしのようでしたが、なるほど、こんなふうに暮らせば愉快だろうと感心しました。

でも、ひとりに慣れてこれはいいなと思ったころに家族が戻ってくるのです。面倒だなと思ってしまうのは「私ってわがままなのね」というところでしょうか。

目次に戻る