京都新聞 口丹随想(19)
小林和子(掲載日 1999.10.24.)
見出し:計画する人、行動する人、分析する人
今年は夏が長く十月になっても暑い日が続きましたが、一日にして初冬に近い気候になりました。変化が徐々にではなく急激におこるのは、天候に限りません。
最近日本の労働環境が変化していると盛んにいわれています。離職や転職する人が今までよりたいへん多くなってきて、これからどのような方向に進むのか、さまざまな意見が出されています。そのなかに、働く人を三つの型に分けて分析している意見がありました。時代を先取りして仕事を作っていくプロフェッショナル、特定の分野に優れた技術や知識を持ったスペシャリスト、社会全体に広い見識を持ったジェネラリストの三タイプです。三つのどれかに当てはまらないといけないような気にさせられますが、特定の個人や組織にとっては必要でないと判断されることはあっても、社会は人が創ったものですから、全体で見れば必要のない人はいないのです。
生きていくために、だれでも三つの人を場合に応じて使い分けています。計画する人、行動する人、分析する人です。計画、行動、分析をバランスよくできるのが理想ですが、人それぞれ得意不得意がありますから、多少のばらつきはあるでしょう。でも、どれか一つが極端に出てしまうと困ります。計画する人だけだと「船頭多くして船、陸に上がる」状態になりますし、行動する人だけだと「行き当たりばったり」状態になりますし、分析する人だけだと「対岸の火事」状態になります。
ところで、最近感じることは、この三つのうち特に分析する人の比重が大きくなりすぎているのではないかということです。分析しすぎて迷路に入り込む人が多くなっているように思います。何のために分析するのかといえば、同じような状況が再び起こった時に一度目より良い選択をするためです。同じような状況が数多くあればサンプル数が増えますから分析の精度は上がりますし、いわゆる経験を生かすことができるわけです。
しかし、一生に一度しかない出来事ではサンプル数は一つですから、それまでの経験は生かせません。分析過多症になってしまうと、当事者になるのが恐くて傍観者になろうとしたり、自分のことなのに自分で決断できなくなったり、未知のものが恐くて何も行動できなくなるのではないでしょうか。もともと人間は未知のものに引かれるようにできていると思います。好奇心や新しいものを探求する心は、だれでも生まれつき持っているものです。小さい子供は恐れを知りません。成長して経験を積めば知識は増え分析の精度も上がるでしょうが、自分の経験で判断できることだけに目を向けるのはおもしろくないと思うのです。自分でやってみたいという計画を思いついたらとにかく行動に移してみる方が、結果を恐れて何もしないよりは生きている実感が得られるのではないでしょうか。
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