京都新聞 口丹随想(20)
小林和子(掲載日 1999.12.19.) 
見出し:時の流れ

今年も後わずかになりました。平成という元号では、時間は淡々と流れているように思いますが、西暦で二千年というときちんと区切られた時間という感じがします。絶対的な時間は自然界では変わらないし流れ続けているはずなのに、人はわざわざ時間に名前をつけます。けじめをつけないと、自分の位置を見失ってしまうのでしょうか。今年は世紀末ということばをよく耳にしました。定説では二十世紀は二千年も含まれ、二千一年から本当の二十一世紀になるということですが、やはり千年に一度の年というのは大きな区切りですから、新しい時代の始まりにしたいものです。

最近の世相のせいでしょうか、末というと来し方行く末を思ってなんとなく気が滅入ることもあります。しかし、考えてみれば何かが始まるためにはそれまでの過去を終わらせなければ先に進めないわけです。過去をふり返って反省することは大切ですが、度が過ぎると新しいことを始めようという気力が萎えてしまいます。また最近、将来を担う若い人たちについて否定的な意見が増えてきています。年を重ねると保守的になりがちですが、先入観を捨てて自己肯定的に考えると、周囲の若い人たちを別の目でみることができるのではないでしょうか。

私の大学のゼミ生はもう少しで卒業(できる予定)ですが、これまでの付けが溜まって試験に追われ、必死で勉強している学生もいます。何となく頼りなくて内心「卒業して社会に出ていけるのかな」と思ったこともありました。でも、実習で患者さんに接する機会が増え、現場を知るにつれて実際の仕事の重みやおもしろさを感じたのでしょうか。顔つきが引き締まって四月ごろと明らかに違っているので驚いてしまいます。自分の将来のことを真剣に考えて、自力で生きていこうという気持ちになっているのでしょう。

最近卒業生のひとりに会う機会がありました。Nさんは鍼灸医学の歴史を分析して実際の治療に役立つような方法を研究していきたいという意欲を持っていましたが、大学には残りませんでした。十年くらい前にNさんが感銘を受けた本の著者が京大の先生で、私自身面識もないのにNさんとの間を取り持ったことがありました。Nさんはその先生との縁を大切に育てながら自分の道を歩み、最近では研究会でのコメンテーターを依頼されるようになったとの話を聞き、嬉しく思いました。

結局、若い人たちを見守る立場の大人として、直接的な手助けはせず(実際にできませんが)、最初の第一歩が踏み出せる環境を整えることだけに専念して後は本人に任せるのがよいのではないでしょうか。そして、いろいろな生き方の見本を示せばよいと思うのです。

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