本学附属病院スタッフの災害地支援リポート〜福島県での放射線測定〜

 東日本大震災に伴いお亡くなりになられた多くの方にお悔やみ申し上げるとともに被災された皆様に心よりお見舞を申し上げます。

 平成23年3月11日に発生した東日本大震災は地震と津波により未曾有の災害となりました。その影響を受け、福島原子力発電所から放射線が漏れだし、地域住民の方々は避難を余儀なくされています。
 3月14日、私の所属する「日本放射線技師会」に「内閣府原子力安全委員会」及び「福島県」から、人に対する放射線測定者の派遣依頼が入りました。それを受けて第1次隊は3月16日から福島県に入り作業を開始。私にも派遣準備要請が下り、3月31日~4月4日の5日間の日程で、現地に入ることになりました。

 私が派遣された福島県田村市の田村市総合運動公園(田村市総合体育館)は福島原発より37㎞程の所に位置し、原発から半径10-20km圏内から避難された住民の方々が、2次避難先への移動準備をされていました。そこには私たちサーベイヤー(測定者)の他に、自衛隊の除染専門部隊も常駐しており、大変心強く感じました。
 私たちは被災された方一人ひとりと言葉を交わしながら約2500名の放射線の被ばく測定(スクリーニング)と健康相談、測定済み証の公布の作業を行いました。あれほど大きな災害に見舞われたにも係わらず、被災された皆さんの、私たちサーベイヤーに対する感謝の気持ちや毅然とした態度、秩序ある行動に何度と無く胸が熱くなりました。時折、耐えきれず不満や愚痴をこぼす方もみえましたが、返す言葉もなくすべてを受け入れることしかできませんでした。サーベイヤーの誰一人として、「頑張ってください」などと口にしている者はいませんでした。とても言えるような状況ではありませんでした。しかしそんな中でも、住民の方々同士が冗談を言い合い、笑い合い、スクリーニング会場が活気付く場面も何度かありました。会場の温度が「ほっ」と上がったような気がしました。

 日頃から、何度となくこのような事故を想定して訓練を積んできましたが、有事の際にはマニュアルどおりに行くはずもなく、現場の臨機応変性が求められ、個々の知識と技術をフル稼働しても追いつかない問題も多く、課題も残りました。
 測定に際しては、住民の皆さんのご理解とご協力により大きな混乱も無く無事に作業を終えることができました。京都に戻った後、私が担当した地域の皆さんが無事2次避難所に着かれたとのニュースを聞き、無力ながらもほっとしています。

 今回このような機会と支援をいただいた関係各位の皆様に感謝するとともに、被災された皆様が一日でも早くもとの生活を取り戻せますよう、心よりお祈り申し上げます。

明治国際医療大学附属病院 診療放射線技師
北村 真

田村市総合運動公園(田村市総合体育館)
スクリーニング、健康相談、測定済み証の公布
スクリーニング、健康相談、測定済み証の公布